はじめての日本神話『古事記』は、とてもエログロな世界に私を連れて行きました
背表紙を見て、「そういえば、日本神話って知らないなあ」と思ったので、図書館でなんとなく手にとった本書。
はじめての日本神話―『古事記』を読みとく (ちくまプリマー新書)
- 作者: 坂本勝
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2012/01
- メディア: 新書
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「日本神話を学ぶ意義」だなんて小難しいことは考えたこともない。
ただ、日本人だし、「古事記」や「日本書紀」にいったいどんなことが書いてあるのか知っておいても良いかなという気持ちはあった。
以下、簡単に内容紹介を引用します。
神話は単なるファンタジーではない。
なぜ古代の人々が見えない神々の世界を想像したのか、“自然”と“人間”の接点を舞台に読みとく。
はじめて日本の神話について学んでみよう、考えてみようと思っている人たちに向けて、「古事記」を解説。
神話の中心部分である上巻、天皇中心の物語である中・下巻のあらすじやエピソードをわかりやすく紹介するほか、水辺や洞窟(どうくつ)など、人と神が出会う「場所」の意味も説明します。
本書に記された「古事記のあらすじ」を読んだ感想としては、
「日本の神々って、みんな相当ぶっ飛んだ存在なんだな」
というもの。
支離滅裂とは言わないまでも、やりたい放題というか、空前のスケールというか、「さすが神」としか言えないような内容です。
結構人間臭いところも多いし、スサノヲさんなんて、現代ならDQN認定間違いなし。
世界各国の神話、たとえばギリシャ神話なんかもこんな内容なのだろうか。
重要なのは、古代の人々が想像した「神々の世界」が、こういうエログロで滑稽な世界だったということだろう。
つまり、人知を超えた自然の力というものが、いくら文化の力で覆い隠そうとしても、隠すことができないほど強大だったのだと推察されます。
筆者によると、神話とは、古代の人々が、「世界の根源を理解するために、言葉によって表したもの」ということ。
「いま、ここ」に自分がいる世界はどのように生まれたのか。
「いま」という時間は過去と未来のつながりの中に存在し、「ここ」という場所は、ここの外に広がる世界とつながって存在する。
「いま、ここ」という世界の根源を理解するためには、「いまではなく、ここではない」世界の存在を意識することは不可避なのです。
そういう「いまではなく、ここではない」世界、目に見えない世界は、古代の人にとっては、まさに「時として非常な災害をもたらす自然環境」であり、「自分の中に潜む食べること、寝ること、排泄すること、性への興味、そして死への欲望という名の内なる自然」だったわけです。
確かに、自然ってグロテスクだよなって思いません?
さて、時代は進み、かつては目に見えなかった世界が目に見える世界に組み込まれるようになりました。
人類は月に行けるようになりましたが、その結果、「月にはウサギがいる」という幻想は崩れ去りました。
しかし、文明が進んだ現代においては、「目に見えない世界」が無いのかというとそうでもありません。
日々の生活は便利になったものの、科学技術がブラックボックス化した現代社会においては、かつては存在すらしなかった「目に見えない世界」が渦巻いています。
そして、人間の中の内なる自然は引き続き、捉えどころのないドロドロとした形で存在しています。
わたしの中にも、あなたの中にも。
「世界の根源を理解したい」という願望、「自分自身の存在を理解したい」という願望はいつの時代も変わらないのです。
ではでは、See you later, alligator.