田舎暮らしに関する考察。移住して1年が経ったわけですが
田舎の魅力として語られるのが、
「田舎の人はみんな温かく親切だ。それに比べて、都会(東京)は、人間関係が希薄で、冷たい」
というもの。
一方で、田舎批判としてよく取り上げられるのが、
「田舎はよそ者を排除する。田舎の人間はデリカシーが無く、他人のプライバシーに平気で踏み込んでくる」
というもの。
まあ、歴史的に見て、田舎は支えあわないと生きていけなかったわけで(現在も)、他人に干渉せざるを得ないのは仕方のないことだと思います。
良く言えば「温かく親切」だし、悪く言えば「デリカシーが無い」。
それを嫌がって、「自分は違いますんで~」的な態度をとると、和を乱す者として田舎では排除されてしまいます。
時代が時代であれば、一人が集落の和を乱すことで、集落全体に不利益が生じたのだろうから、これも仕方のないことだと思います。
染みついた習慣というものは、なかなか変えられません。
昨年、こむつまは東京から熊本に移住しました。
東京生まれ東京育ちのこむつまとしては、他人のプライバシーに踏み込んでくる方、つまり、「他人と適切な距離をとることができない方」は、正直苦手です(もっというと、嫌いです)。
ですので、東京から熊本へ移住したのも、「田舎でのんびり暮らしたい」という思いからであって、「他人の温かさ、人間のぬくもり」というような(気持ち悪い)幻想を求めたからではありません。
今のところ、郷に入っては郷に従えということで、町内会にも入っていますし、清掃等の地域の活動には参加していますが、それ以上の濃密な人間関係には積極的に立ち入らないようにしています。
他人に対して変化を求めることは非常に難しいです。
過干渉な人間に対して、「もっと適切な距離感で接して欲しい。私の領域に立ち入らないで!」と言っても、無理です。
そういう人との付き合いは、「スルー」に限ります。
実際、東京にも「おせっかいおばさん」みたいな方はいましたし、そういう人とのお付き合いは、子供の頃から、適度にスル―することでかわしてきたのです。
何も「田舎の人」だけの問題ではありません(田舎にはそういう人が比較的多いというだけ)。
というわけで、こむつまや旦那のような「大人」にしてみれば、適切な「スルー力」さえ身に着けていれば、それほど田舎の人間関係には悩まされないと感じています。
で、田舎の人間関係を考察するポイントとしては、「子供にとっての田舎」だと考えています。
自己が確立した大人と、これから自己を確立する子供とでは、田舎のメリット・デメリットを考える基準が異なってくるからです。
子供が、自己を確立するためには、つまり「自分と他人を区別するため」には、ある程度いろんなものを見たり聞いたりしなくてはいけません。
そのような経験が、東京に比べて、田舎だと少ないなと実感しています。
子供にとって「世界」は、「自分の身の回り」、「生活環境周辺」に等しいので。
自己の確立を通して、世の中にはいろんな人がいて、いろんな考え方があって、「みんな違ってみんないい」という考えを身に着けるわけですが、具体的な「みんな違う」と触れ合う機会が、田舎は圧倒的に少ないです。
そもそも人口が少ないですし、エキセントリックな若者は東京に出て行ってしまうし、奇抜な店舗も、常識外れのイベントも限定的です。
「君が『全てだ』と思っているものは、実は全然ちっぽけなもので、君の知らない『大洋』という世界が、この井戸の外には広がっているんだよ」ということを、こむつまは子供たちに積極的に教えなければならないのです。
幸い、人間はカエルとは異なり、井戸の中にいても、きっかけさえ与えれば、外の世界(大海原)を「想像」できる生き物ですからね。
親の都合で、こむつまが田舎暮らしをしてみたいがために、東京から移住したわけですが、子供が世間知らずのカエルになってしまわないよう、異分子を排除する懐の狭い人間になってしまわないよう、こむつまには親として、彼らに、東京に住んでいたら最低限経験できたであろう「多様な世界」を見せる責務があるのかなと考えています。
もちろん、東京に住んでいたら経験できないような素敵な経験が、田舎でもたくさんできるんだろうと信じているわけですが。
ではでは、See you later, alligator.