一人ひとりの心がけで世の中は変わるか?
平川秀幸氏の著作、「科学は誰のものか 社会の側から問い直す」を読みました。
科学は誰のものか―社会の側から問い直す (生活人新書 328)
- 作者: 平川秀幸
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2010/09/08
- メディア: 新書
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私たちの生活に欠かすことのできない科学技術。
一方で、日々進歩し続けるそんな科学技術は、遺伝子治療、原子力発電、環境破壊など、その発展によって新たな混乱や不安、矛盾を次々と生み出しているのも事実です。
著者はこれを「科学なしでは解けないが、科学だけでは解けない問題」とうまく表現されています。
科学者にとっては、「科学は万能ではない」ことは自明なのです。
これまで、世の権力は、科学技術はある種の価値中立的な真理として、未知の技術に不安を抱く無知で無学な大衆を上から教え導くという態度を取り続けてきました。
しかし、もはやこのような「上から目線」によって国民の科学技術への理解を図るのは限界があると著者は主張します。
科学技術と社会の関係は「統治からガバナンスへ」変わっていくことが必要だというのが一つの結論になります。
また、本書の中で、筆者は大変重要な投げかけをされます。
それは、
「一人ひとりの心がけで世の中は変わるか?」
という問いです。
これは特に私たち日本人に見られる特徴なのですが、自分たちにとって重要な課題である環境問題や貧困問題といった大きな社会問題に対し、往々にして、「この問題は市民一人ひとりが真剣に考え、向かい合っていかなくてはいけない」という安易な結論に流されがちです。
しかし、本当に一人ひとりが心がけて行動すれば解決するのでしょうか。
そもそもそんなことが可能なのでしょうか?
医薬品の南北問題や欧州の遺伝仕組み代え作物の例では、状況を変えたのは科学や政治の変化だけでなく、それを促した環境NGOや農家団体、消費者世論と言う市民社会のパワーの台頭があったと筆者は説明しています。
市民活動と縁の薄い日本人から見ると、どこか手の届かない遠い世界の話のように思え、「一人ひとりの心がけが大事」という結論を言いやすいわけですが、欧米ではそうでなく、一人ひとりのレベルを超えて、地域で、国レベルで、そして国際的に、変化を起こすことを手伝いましょう、という呼びかけがなされるそうです。
そんな日本と欧米との決定的な差の実例として、元アメリカ副大統領のゴア氏が提唱した「不都合な真実」において、筆者は、
「日本語版では、日本以外の地域での公開版に含まれていたゴア氏の重要なメッセージの一つが、明らかに、何らかの意図によって削除されていた」
という非常に興味深い指摘をします。
確かにこれは当時結構話題になりましたよね。
こむつまが知っている範囲ですと、まず公式ホームページのバナーメッセージの違い。
オリジナル版にはある
- "Political will is a renewable resource"
- 「政治的意志は再生可能な資源である」
というフレーズが日本語版にはないというもの。
このフレーズは、映画版の終盤のほうでも出てくるそうで(映画を見ていないので分かりませんが)、ゴア氏の重要なメッセージなわけです。
「温暖化対策に必要な技術的手段はそろっている。欠けているのは政治的意志だ。」
「わたしたちは、民主的なプロセスによって政治を変えることができる。」
映画版ではこんなくだりでこのフレーズが出てくるとのこと。
なぜ日本語版からは、このゴア氏のメッセージが削除されたのでしょうか?
また、公式ホームページの"TAKE ACTION"のコンテンツにも、同様な「意図的削除」が見られました。
温暖化対策(CO2の削減)のために「あなたにもできること」として、オリジナル版にはある
- “Help bring about change LOCALLY, NATIONALLY AND INTERNATIONALLY”
- 「地域で、国レベルで、そして国際的に変化を起こすのを手伝いましょう」
という取り組みが、日本語版では省略されているのです。
要するに、日本語版の「不都合な真実」からは、なぜか「政治的アクション」あるいは「社会的アクション」につながるメッセージが省略され、「何をすべきか」、「何ができるか」に対するすべての答えが、個人単位の行動に限定されているわけです。
そして、決まり文句は「一人ひとりの心がけが大切です」というもの。
もちろん、そういう一人ひとりの心がけや行動が不可欠なのは言うまでもありませんよね。
しかし、社会を変えるには、そこからもう一歩進んで、バラバラの一人ひとりではなく、周囲の人間を巻き込み、ともに考え行動し、新しくビジネスを起こしたり、企業や政府に働きかけたりする社会的・政治的アクションが必要なはずです。
つまり、筆者が投げかけた「一人ひとりの心がけで世の中は変わるか?」という問に対する答えがここにはあります。
それにしても、なぜ日本語版の「不都合な真実」からは、政治的・社会的なメッセージを省略する必要があったのでしょうかね?
そこに潜む「何らかの意図」とは・・・
「一人ひとりの心がけが大切です」という、特に反論できないまっとうな主張に促され、個人はバラバラの「一人ひとり」で社会に直面させられる。
しかし、その先にあるのは、「失敗はすべて自己責任」という現実。
そんな社会を望むのはだーれだ?
まあ、そんな陰謀論はさておき、本書が色々なことを考えさせられる良書だったことは間違いありません。
ぜひ、ご一読を。
ではでは、See you later, alligator.