こむつまの日記

東京から熊本に移住したごく普通の専業主婦が思い出を消費するブログです。

【再読】臨機応答・変問自在

昨日は久しぶりに森博嗣先生の新書「臨機応答・変問自在」を再読しました。

15年前の本ですが、いつ読んでも面白いです。

 

臨機応答・変問自在―森助教授VS理系大学生 (集英社新書)

臨機応答・変問自在―森助教授VS理系大学生 (集英社新書)

 

 

本書は国立N大学勤務時代、「成績は授業の最後に集める質問の内容のみで決める」という講義スタイルを実践してきた森先生が、20年間の授業で受けた質問の中から、人生相談など一般の人でも興味を持ったり、内容的に面白かったりするものを集めた傑作選となっています。

 

毎回の授業の最後に集めた質問に対しては、次回の授業の際に質問に対する著者の回答をつけたものを配布していたとのことで、膨大な作業であったことが容易に想像できますね。

 

生徒たちの質問に対する森先生の回答には、当時から独特の切れ味があり、全体的にとても楽しく読める作品となっています。

 

本書で示されている森先生の考え方が非常に示唆に富んでおり、こむつまはこの部分が大好きなため、以下、引用させてもらいます。



グループでリーダシップを発揮するのがエリート(筆者はこの言葉を悪い意味には決して使わない)である。
彼らの仕事のほとんどは、常に問題を発見することにある。
問題を解決してくれるスタッフは大勢いるからだ。
ある意味で、問題を解くことは労働であり、ノウハウが蓄積された場合には大部分が機械によって解決できる対象となるだろう。


グループのトップに立つ人間は、将来を眺め、そして自分たちを観て、今何をすれば良いのか、今後どのような問題が発生するのか、を予測する能力が問われる。
問題を明確にすることが彼らの仕事なのである。

 

もちろん、問題を作る(見つける)行為は、問題を解決する行為に比べて格段に難しい。
それは、数学の問題を一問作製すれば理解できるだろう。

 

人はどう答えるかではなく、何を問うかで評価される。

たとえば、就職の面接で、「何か質問はありませんか?」と面接員に尋ねられたとき、的確な質問ができるかどうか、そこで評価される。
準備された解答を暗記して、それを正しく再生する能力ばかりが期待されているのではない。

会話の中で、議論の中で、何が不足しているのかを常に意識し、それを的確に把握して質問する能力が重要であり、つまり問題を考える行為に集約される。

 

したがって、本当に人の能力を観たいときには、何を答えるかではなく、何を問うか、を観るべきであって、現にそうした評価がなされている場合が多い。

ばりばりと仕事ができる、言われたことはつつがなく片付ける、という有能な人間は多い、しかし、それだけでは人の上には立てない。

そうした解決のノウハウを積み重ねるうちに、問題を見出す力が生まれるともいえるが、まずは意識してものを問う姿勢が重要なファクタとなるだろう。

 

 

「おっしゃる通りです」と大きく頷かされます。

 

特に、社会人の人は、この「何を問うか」が大切だということは日々感じているのではないでしょうか。

 

まあ、こむつまは専業主婦ですけど。

 


ちなみに、本書の続きとして出た「臨機応答・変問自在2」もこむつまは購入し読んだのですが、こちらは正直言って面白くありません。

 

この「2」は、ホームページで公募した質問に筆者が答えるという形式だったのですが、質問者が基本的に森先生のファンであるため、突飛でバカバカしい(でも楽しい)質問が少なかったためです。

 

臨機応答・変問自在〈2〉 (集英社新書)

臨機応答・変問自在〈2〉 (集英社新書)

 

 

ではでは、See you later, alligator.