死ぬまで保留する人生
こむつま家が東京から熊本へ移住して1年以上経つわけですが、最初に移住を提案したのは旦那でした。
東京での気忙しい生活に嫌気がさし、田舎でのんびり子育てがしたいと旦那は考えたのです。
こむつまは賛成も反対もありませんでした。
「あなたが移住したいなら、付いていくよ」
そんな感じでした。
だって、専業主婦ですからね。
住む場所にこだわりはありませんでした。
ただ、最初に言い出した旦那も、途中随分悩んでいたのは事実です。
変化を目の前にして、尻込みしていました。
人は、変化を恐れますからね。
一方で、行動した後悔より、行動しなかった後悔の方が心に深く残ることも、人は経験上知っています。
旦那の場合、忙しいから嫌だとか、こんな会社辞めてやるなんて息巻いていたものの、なんだかんだ言って、東京で勤めていた会社を辞めることに最後まで決断できずにいました。
2年、3年我慢すれば、給料が上がったり、立場が良くなったり、だんだん良い条件が生まれるのではないか。
でも、このまま一生、この会社にお世話になるのか。
自分自身が最もヘイトしていた、「会社にしがみつくオッサン」に、自らがなりさがるのではないか。
変化に対し、決断を保留し、あらゆることを全部保留したまま死んでいく人生で良いのか?
旦那は悩んだのです。
思い切って行動する。
思い切って会社を辞める。
「思い切る」という事は、他の全ての思いを捨てるということです。
そして、それができないのは、「可能性を持っていたい」から。
保留癖のある人は、きつい言い方をすると、「自分にあるはずのない可能性を信じている」のです。
「今はつらくても、このまま真面目に働いていれば、きっと会社が自分を幸せにしてくれる」なんて。
自分にあるはずの無い可能性に期待している結果、保留する。
パッとしない自分に、いつか劇的な外部要因によって良い事がもたらせると、どこかで信じている。
他力本願って言うんでしょうか。
全てを保留したまま死ぬという事は、自分の待ち続けた可能性(理想の自分)を見る事無く死ぬということ。
何十年待っても来なかったものを、また何十年も待ち、
「やっぱり何も来なかった。こんなに自分は良い子でいたのに。世間が悪い」
と不平を垂らして死んでいくのです。
来るはずのないものをいつまでも待っているぐらいなら、たとえ迷子になったとしても、期待していたものと違う結果が待っていたとしても、自ら踏み出さなければならないのではないでしょうか。
歳を重ねるごとに、その一歩は確実に重くなります。
アントニオ猪木じゃありませんが、踏み出せば、その一足が道となるのです。
「迷わず行けよ」と一歩踏み出し、旦那は移住を決断したのでした。
その時30代前半。
だいたい男の人って、この時期に変化を求め、そして悩むんですかねえ。
ではでは、See you later, alligator.