こむつまの日記

東京から熊本に移住したごく普通の専業主婦が思い出を消費するブログです。

論理を意識し思考すれば、あなたは自由になれる

三浦俊彦氏著「天才児のための論理思考入門」という本を読みました。

天才児のための論理思考入門

天才児のための論理思考入門

 

 

とりあえず、タイトルがダメですねえ。

なんか「子育て教育本」みたいで。

「天才児を育てるためにはどうすれば良いか」的な・・・

 

編集の「釣ってやろう」という魂胆が見え見えです。

 

本書は決して「教育ママ」に向けて書かれた本ではありません。

児童書でもありません。

大人向けの論理学の本です。

 

ですので、タイトルはシンプルに「論理思考入門」が良いかと。

 

 

さて、肝心の中身ですが。

 

2008年1月11日から3月14日まで、TBS系列で放送された「エジソンの母」というドラマをご存知でしょうか?

 

こむつまは知りませんでした。

 

主演は伊東美咲さんだそうです。

 

小学校1年生の教室を舞台に、女性教師を質問責めで振り回す、世界的な発明家、トーマス・エジソン並みの才能を持つ(と言われている)男児を中心としたお話だそうです。

 

女性教師の元カレである哲学准教授が質問の学問的背景を解説するシーンがあるそうなのですが、東大の現役教授である筆者も「監修」としてこの番組作りに関わったとのこと。

 

そんな筆者ですが、脚本チェックと並行して、番組の公式サイトで「規子先生の課外授業」というコーナーにおいて、毎回番組内で提示される質問に解説をつけていたそうで、それをまとめて仕上げたのが本書になっています。

 

 

本書では、「子供が発しそうな質問」(実際に子供が発した質問を収集したわけでは無い)を想定し、それを額面通りに受け止め、正面から回答を与える仕方をあれこれ試すことで、論理思考のシミュレーションを行います。

 

本当に、禅問答のような内容になっています。

 

以下が、掲載されている質問の一例です。

 

 

  • どうして1+1=2なの?
  • どうして気球は空を飛べるの?
  • やさしくすると、意地悪するより損するの?得するの?
  • みんなが平等にお金持ちになることは、できないの?
  • どうして良い絵と悪い絵があるの?
  • どうして「やぎさん ゆうびん」は、白ヤギさんと黒ヤギさんがグルグルして、いつまでもお手紙が終わらないの?
  • 地球はいつかなくなるって、本当なの?
  • タイムマシンがあったら、過去にも未来にも、どこでも行けるの?

 

 

一見答えようのない質問、焦点の不明確な漠然とした質問に対しても、なだめたり受け流したりして済ませるのではなく、時には「この言葉遣いで子供は納得するかな?」などと自問自答しながら、「必ず答えを探す」ことを基本方針として思考することで、読者は論理トレーニングを行うことができます。

 

上記の質問を子供たちから受けた場合、皆さんだったらどう答えますか?

 

 

「知識」や「経験」は、意欲をもって努力さえすればいくらでも拡大することができます。

 

しかし、「思考」は、必ずしも量的な努力によっては越えることができず、それだけに、克服することが難しいものとして考えられています。

 

「思考の限界」と呼ばれているものです。

 

思考は、基本的に言語によって営まれますが、言語とはもちろん自分だけの所有物ではなく、ある共同体の共有物です。

ですから、いったいどこまでが自分の言葉であるのか、どこからが他人の言葉であるのかという境界線は、どうしても曖昧にならざるを得ません。

 

つまり、どこまでが自分の考えたことで、どこからが他人の考えたことであるかという境界線も、やはり曖昧なのです。

 

いかに創造性豊かな人間であっても、100%「自分の言葉」だけで純粋に「自分の思考」と呼べるものを織り上げることは、不可能なのです。

 

自分ではオリジナルなことを言っているつもりでも、じつはこれまで誰かによって既に言われてきたことを焼き直しているにすぎない、といったことは往々にしてありますよね?

 

自分の頭で主体的にものを考えているはずなのに、いつのまにか出来合いの図式をなぞってしまう・・・

私たちの思考を不自由にするこの惰性的なメカニズムに絡めとられないためには、いったいどうすればいいのでしょうか?

 

こむつまは、その最も有効な手段は、「ひたすら本を読むこと」だと考えています。

 

書物という言葉の海に全身で飛び込み、必死にもがきながら自力で泳ぎ渡ることによって、はじめて人は自分だけの言葉を鍛え上げ、自分だけの思考を紡ぎ出すことができると考えているからです。

 

特に、自分と異なる価値観や世界観が記された書物と正面から向き合い、真剣に対峙することを通して、自らを相対化することが重要だと考えています。

 

場合によっては、一冊の書物と出会うことで、知っていたはずのことが疑わしくなったり、わかっていたはずのことがわからなくなったりすることもあるかもしれません。

 

まさにそのときこそ、「思考の限界」から解放されるチャンスを手にしている瞬間ではないでしょうか。

 

いま、ここにある自分に満足し、思考停止してしまうのではなく、ここにはない自分、どこかにあるかもしれないけれどもまだ見つかっていない自分に向けて精神を開くこと、自らの存在そのものを根底から揺り動かし、突き崩し、組み替え続けること、それこそが人間を自由にする「思考」の本質にほかなりません。

 

最後に、ウソつきのパラドクスを記して締めましょう。

 

 

「私のブログでの発言は、ウソです」

 

 

ではでは、See you later, alligator.

旦那の禁酒継続期間:12日