ゼロ~なにもない自分に小さなイチを足していく
うちの息子はテレビのクイズ番組が大好きです。
こむつまも旦那もテレビはほとんど見ない人間なので、チャンネル選択権は子供が持っており、毎日のようにどこかのチャンネルで放送されているクイズ番組を見させられている状況です。
昨夜は、ネプリーグからQさまへのはしごでした。
で、Qさまを見ていて思ったのですが、最近、堀江貴文さん(ホリエモンさん)をよくテレビで見かける気がします。
クイズ番組ばかり見ているからかもしれませんが、とにかく、テレビだろうと何だろうと常に全力で取り組まれている彼の姿には感嘆しますね。
今日は、そんな堀江貴文氏の著作、「ゼロ~なにもない自分に小さなイチを足していく」をご紹介します。
本書を読んだのは1年以上前ですが、あまりに共感する部分が多く、ページの耳を折りながら読み進めた記憶があります。
以下、好きな箇所を一部引用させていただきますね。
多くのビジネスマンは、自らの「労働」をお金に換えているのではなく、そこに費やす「時間」をお金に換えている。(中略)自分は「時間」以外のなにを提供できるのか、もっと真剣に考えなければならない。これからの時代、時間以外に提供可能なリソースを持っていない人、給料を漫然と「もらう」だけの人は、ほどなく淘汰されていく。
「できっこない」という心のフタさえ外してしまえば、「やりたいこと」なんて湯水のようにあふれ出てくるのだ。
貯金に励み、わが子や教え子たちにまで貯金を推奨する人たちは、面倒なことを考えたくないだけなのだ。お金のことも、将来のことも、自分自身の生き方も、なにひとつ真剣に考えたくない。自分を信じられず、他人を信じられず、お金だけしか信じるものがなく、「いざというときのため」に貯金をし、いざとなったらカネで解決しようとしている。そんな態度が、ほんとうに美徳と呼べるのだろうか。
人は「ここでいいや」と満足してしまった瞬間、思考停止に突入してしまうのだ。
責任が発生しないうちは、本当の意味での自由も得られないのだ。無邪気に見える子どもたちは、圧倒的に不自由なのだ。
刑務所生活で得た気付き、それは「自由とは、心の問題なのだ」ということである。塀の中にいても、僕は自由だった。
時間だけは誰にも増やすことができない。まさしく有限の「命そのもの」であり、タイム・イズ・ライフなのである。(中略)だからこそ、僕らは「自分の時間」を生きるのか、それとも「他人の時間」を生かされるのか、を常に意識化しておく必要がある。
いまやスマートフォンを持つ手のひらの中に「世界」がある。国境なんか関係ない。国籍なんかどこでもいい。インターネットにつながっているだけで、あなたはもうグローバル化しているのだ。
成功者の足を引っぱって、なにが得られるというんだろう?2013年に惜しまれつつも他界したマーガレット・サッチャー元英国首相は、こんな言葉を残している。
「金持ちを貧乏人にしたところで、貧乏人が金持ちになるわけではない」
(中略)成功者をバッシングするのか、それとも称賛するのか。これは「嫉妬心」と「向上心」の分かれ道であり、ゼロにイチを足せるかどうかの試金石である。
本書には、シンプルでわかりやすいメッセージでありながら、深く掘り下げた堀江貴文氏自身の魅力が詰まっています。
書いてあるのは至極当然な事ばかりなのですが、著者の壮絶な体験を元に、かつ論理的に記されていることが説得力の大きさを増している所以でしょう。
堀江氏を成功に導いたのは、徹底的に合理性を突き詰めた考え方とひたすら目の前のタスクに没頭する、常軌を逸した集中力であり、あくまでも地道な努力によって小さなイチを足し続けた結果に過ぎないのです。
また、堀江氏は人一倍、死を意識し、死を恐れています。
人生の時間が有限である事を強く意識しているのです。
そして、限られた時間であるからこそ可能な限り有効に使いたい、 過去は一切振り返らず、ネガティブな感情は持ちたくない、遠い未来の事など心配しても意味はない、興味のある事は片っ端から全部やってみる、といった心理に達したわけです。
その上での小さな努力の積み重ねですからね。
圧巻です。
本書は、「自分もやればできる」「やるか、やらないかの差に過ぎないのだ」と、読者の心を奮い立たせ、眠っていた情熱を呼び覚ますには十分すぎるほどの圧倒的な説得力に満ち溢れています。
杉村太郎氏の「アツイコトバ」にも通じるものがあります。
人生に対する考え方が書いてあるため、ビジネスパーソンであろうが、学生であろうが、どんな人が読んでも有益な情報を得ることができる、おすすめの作品だと思いますよ。
ではでは、See you later, alligator.