遅読のススメ。読解力が低下するデジタル時代
何月の放送だったかは覚えていないのですが、NHKラジオ、「実践ビジネス英語」のテーマに「Reading in the digital age(デジタル時代に読む)」というものがありました。
インターネットであったり、電子書籍であったり、そんなデジタルな時代においては、人々の読書習慣が変わり、読解力や集中力の低下という弊害が出始めているという内容でした。
確かに、ネットの情報ばかりを見ていると、「考える」という行為をしなくなっていることに気がつきます。
デジタル時代においては、「視覚化」に著しく偏ります。
こむつまは何かを調べようと思ったとき、図書館に行って百科事典を開き、関係する論文を読みふける・・・などということはなく、インターネットの検索に頼ります。
結果は数秒~十数秒で表示されますもんね。
調べようと思ったことが、ピンポイントに、そして端的かつ平易な言葉で示されています。
そして、その情報を「見て」分かった気になる。
様々な関連サイトも手軽に見ることができ、大変便利なわけですが、そのほとんどに画像(ときには動画も!)が掲載されていて、ここでも「視覚」が優先されているわけです。
こむつまはまだ電子書籍には手を出していないのですが、電子書籍でもこむつまの「思考」の機会が減るのは必須だろうと思っています。
何せ、読んでいて分からないこと、気になったことがあった場合、同じ端末で簡単にそれを調べることができますから。
立ち止まって、目を閉じ、考えることをしなくなる。
つまり、そこには、集中してものを読みとり、思考と感情を添わせてゆく「読解」の力を育む素地は存在しないのではないかと思うわけです。
また、考える機会を減らしている原因として、最近は「きちんとした日本語」を読んでいないということも思い当たります。
ブログの文章、掲示板に書かれた言葉は、素人が書いているから、悪い文章である、きちんとした日本語ではない・・・というわけではありません。
ただ、多くのブログの文章、掲示板への書き込みというのは、「勢い」があり、単純で分かりやすく、読んでいて楽しくはあるものの、あまりに「お手軽」すぎる感が強いのです。
そして、そういう文章に慣れてくると、日本語を読むレベルが急激に下がってきて、ちょっと難解な文章になっただけで、目に文字情報は入って来るものの、言葉が頭の中で展開されなくなることに気が付きます。
先日、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んだのですが(もちろん日本語で)、読破するのに1か月以上かかりました。
一文字一文字を音読するよう、ゆっくりした速度で読み進んでいかないと、物語を理解できなかったからです。
しかし、こういった丁寧な、速読ならぬ「遅読」をすると、嫌でも言葉が頭の中に展開され、思考し、感情を揺さぶられるため、
「あー、自分は今まさに読解しているな」
と実感できます。
さらに、脳が活性化するのか、読んでいる内容とは全く関係ないのですが、やりたいことや、思考のアイデアを思いついたりもします。
皆さんも時々は難解な文章を遅読してみてはいかがでしょうか。
周囲に人がいなくて迷惑がかからない状況であれば、音読でも良いと思います。
ではでは、See you later, alligator.