「かもめのジョナサン」を読んで感化される意識高い系の私
リチャード・バックの「かもめのジョナサン」を久しぶりに再読しました。
切れ味抜群の本書を読むのはもう何度目か。
そして毎度々々、感化されてしまうこむつまなのです。
本書は1970年に発表され、数年後から爆発的に読まれ始め、全世界で4,000万部以上、日本でも260万部を超えるベストセラー本ですので、ご存知の方も多いはずです。
ただ食べるためだけに生きているカモメの群れの中にいて、より速く飛ぶこと目指したカモメのジョナサン。
彼は他のカモメとは違う生き方をしているため、カモメ一族の伝統と尊厳を汚したとされ、群れから追放されてしまいます。
それでも自らの道を探究し、極めていくジョナサン。
カモメに置き換えつつも、人間社会でもありがちなことを語ったことで共感を覚えた人が多かったため、ベストセラーになったと考えられます。
無意識に他人と同じことをして漫然と生きていくよりも、自分が決めた道をとことん追求したいと考えている世界中の多くの人が、この本を読んで自分の中の情熱を掻き立てられたわけです。
「打たれても負けない出る杭になりたい人」といういわゆる意識高い系の人、自らの道を探究したい、しかし周囲とのギャップに悩むところもあるという臆病な人、そんな人々はこの本から勇気をもらえると思います。
別にそういう人々を馬鹿にしているわけではありませんよ。
こむつまがまさにそうですから。
本書がベストセラーになった理由としてもう一つ考えられるのが、ジョナサンの「人間味のあるところ(動物的なところ)」です。
先に記したように、ジョナサンは他の愚鈍なカモメとは違い、自ら「生きることの意味」を見出した、意識の高いスーパーカモメなのですが、そんなジョナサンが物語の終盤、かつて自分を追放した群れに還るのです。
後進の指導をするために。
他人の目を気にすることなく己の成長をひたすら探求したジョナサンが、なんと「教育」に手を出すわけです。
これが何を意味するのかと言うと、ジョナサンは、自分の成長に限界が見え始めたからこそ、「後進に自分の学んだことを伝えたい」という気持ちになったのではないかと思います。
つまり、自分の成長より、他者の成長を手伝うほうが、価値が高いと判断したのではないかということです。
飽くなき挑戦を続けたトップアスリートが引退し、後進の育成にあたるようなイメージでしょうかね。
「自分が良ければそれで良い、自分が楽しければそれで良い」ではなく、究極的には「種の繁栄を願う」ともいえるこの行動は、非常に動物的な発想に基づくものだと思いませんか?
ジョナサンは決して神の子ではなく、みんなと同じカモメなんだよと、本書は言っているわけです。
「ごくごく平凡な君だって、少し意識を変えるだけで、ジョナサンのように一段高いところにいけるんだ。さあ、飛び立とう!」
てな感じで煽ってきます。
そして、そんな煽りに簡単に引っかかってしまうこむつまなのでした。
ではでは、See you later, alligator.