「百姓」って差別用語なんですか?
宇根豊 著「農は過去と未来をつなぐ」を読みました。
農は過去と未来をつなぐ――田んぼから考えたこと (岩波ジュニア新書)
- 作者: 宇根豊
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2010/08/21
- メディア: 新書
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本書は、お百姓さんの視点から「農の価値とは何か」を考えていく内容なのですが、特に面白いなと思ったのが、農業の「労働生産性」について記述している部分でした。
もともとお百姓さんには、「労働時間」という概念は存在しなかったそうです。
なぜなら、太陽の傾きが仕事の始めと終わりを報せてくれるから。
しかし、村の外から「労働時間」、そして「労働生産性」が近代化をすすめる尺度として持ち込まれてくると、お百姓さんの働き方は次第に変わっていきます。
多くのお百姓さんは、「生産性の向上」とは「仕事の効率を上げる」ことだと言いかえて教えられ、「仕事がはかどる」ことの経済学的な表現だと思い込まされてきたそうです。
しかし、筆者は「仕事がはかどる」と「労働生産性が高い」ことは対立すると主張し、こう続けます。
労働生産性は労働時間あたりの生産額という尺度によって測られる・・・・・・一方の「仕事がはかどる」場合の実感とは、相手の生きもの(作物や草や動物や土や水など)とのやりとりがうまくいったということのほうが大きくて、手入れした仕事の充実を語っているのであって、時間あたりの収益などとはほとんど無縁です。
自給率の問題や、兼業農家、農業従事者の高齢化、趣味農業の増加、そしてTPPなど、現在の農業を取り巻く状況は大きく変化しています。
そのような時代の中で、生産性や効率化が求められていることも、まぎれもない事実です。
一方で、そうした側面のみを見続けているのはいいのだろうかと考えさせられます。
「農」が本来もっている価値っていったい何なんでしょうね?
余談ですが、「百姓」が差別用語だとは知りませんでした。
しかし、筆者は、「百姓」ではない者が「百姓」という言葉の使用を禁じることに違和感があると述べています。
「百姓」であることにプライドを持っている筆者だからこそ、言葉狩りを批判することができるわけですが、こむつまのようなただのおばさんが、
「あなたは百姓ですか?」
と農家の人に尋ねようものなら、
「差別だ!」
なんて非難されてしまうんでしょうか。
こちらに差別しよう、見下そうなんて意識がなくても、相手がどう受け取るか分かりませんからね。
言葉には気をつけましょう。
ではでは、See you later, alligator.