変な本を読んだ
「世界について」というタイトルで、きっと地理学、地政学関係の本だろうと判断して、図書館で借りたのですが、全然違いました。
本書は、哲学の本。
せめて目次くらい確認すべきでした。
哲学はこむつまの苦手な分野なのです。
大学生の時、「哲学入門」みたいな講義を履修したことがあるのだが、とにかく頭がしびれました。
しかし、食わず嫌いはダメ。
この偶然の出会いを大切にしなければならない。
中高校生を主な読者としている「岩波ジュニア新書」なのだから、きっと平易な言葉で丁寧に書かれているに違いない。
そんなことを自分に言い聞かせながら読みはじめ、結果、なんとか最後まで読み切ることができました。
読んでみると分かるのですが、哲学って、無駄なようで無駄じゃないというか、社会の役に立たないようで役に立つ学問分野なんですよね。
限りなく芸術に近いけど、芸術ではない。
この点に関しては、「はじめに」において筆者も以下のように述べています。
現代に生きている多くの哲学者は、過去の哲学者の書いた本についての研究を行います。
それでは哲学をやっているのではなくて、哲学者(哲学書)研究じゃないかと言われることもあります。
ですが、哲学者研究は、哲学にとって重要な研究のひとつなのです。
というのも、私たちは、どういうわけだか、いつの時代になっても、わりと似たような問題を抱えていることがあります。
例えば、どうしたら、たんに思い込んでいることと、ほんとうに知っていることを区別できるのだろうかとか、私たちが悪いことをした人に責任を負わせる場合と、同じようなことをしても、それを許す場合を区別できるのだろうかといった問題です。
こういったことは、私たちが、いつの時代にも抱えている問題の一部でしかありません。
そういった問題もまた、時代の状況、その哲学者の生きた環境など、複雑な要素が絡みあって生み出されているわけです。
とはいえ、本書を読み終えたこむつまの感想としては、「よくもまあこんなことをずっと考え続けることができるものだ」という筆者への感嘆しか出てきません。
なにせ、本書の結論を一言で述べるならば、「世界は、信念のネットワークである」という筆者の寛容な主張に行きつくだけなのですから。
「世界は、信念のネットワークである」とはどういう意味か、なぜこのような考えが導き出されたのかということを、筆者は時に関西人らしいユーモアを交えて、延々と、しかし丁寧に説明しているだけなのです。
その説明の中に、時に、「おおー、確かにそういう考え方、そういうものの見方もあるんだな~」と感心する思考のアイデアが転がっています。
この思考のアイデアの中には、こむつまにとっては「ダイヤモンド」であっても、他の読者にとっては「石ころ」でしかなく、読み流されるようなものもあると思います。
同様に、今のこむつまには「石ころ」であっても、かつての自分、そして将来の自分にとっては「ダイヤモンド」だと感じるものもあるはずです。
当然ながら、本書を読んでも、社会で直面するさまざまな課題があっという間に解決するわけではありません。
皆が毎日頭を悩ませている、お金や他人との関係といった個別具体的な問題が消え去るわけでもありません。
しかし、気持ちは楽になります。
「あれ?とてつもなく大きな壁に行く手を阻まれていると思っていたけど、触ってみたら、この壁、スポンジみたいに柔らかい。とりあえず穴をあけて、まずはこの先の道がどうなっているか覗いてみよう」
こんな感じで、頭が切り替わるのです。
読めば分かります。
ではでは、See you later, alligator.